とりあたまβ

私の中にある底のない沼を、愛でいっぱいにしてほしいの!

地獄の火蓋が開いた話

※以下、例の発表後に個人サイトのブログに投げていたものの再掲です。



これは言ったことがあるかないか忘れましたけど、わたしはゴリッゴリのジャニオタで、なおかつ推しグループが関ジャニなので、もう悲しみとか寂しさとか怒りとか、なにもかも通り越して虚無って感じです。お察しください。
昨日と同じ今日なんてなくて、同時に今日と同じ明日なんて来ないんだな、と痛いくらいに感じています。ひとの人生ってたった一日でこんなにも変わるものなんだという驚きも未だ引きません。
テレビで会見も見ました。ネットニュースでほぼ全文を掲載している記事も読みました。ひどく誠実な言葉たちで、あまりにも"彼ららしい"明るすぎる終わり方だったもので、呆然とせざるを得ません。
夢であればどれほどよかったことか、とは何百回も考えました。もしかしたらコンサートDVDに収録するための壮大なドッキリ企画だったんじゃ、とか。

わたしたちファンのことをエイターと名付けて一番先頭に立って先導してくれていたはずのひとが、いつの間にかメンバーもわたしたちもすべて置き去りにしてどこかに行こうとしている。
まだ実感の湧かない翌日の朝、出勤前にテレビのニュースを見てまた泣きました。漸く頭が理解し始めて、どうやって息をすればいいのかすらわからなくなって、足元はぐらぐらと揺れるし視界は真っ白で血の気が下りて、あっこれは吐くな、と思ったら案の定会社のトイレで吐きました。
事務所とグループに守られて支えられて甘やかされたままでいたくないという考えも、理解はできているし尊重もしたい、でも、やっぱり納得はできないし、息が苦しいです。
時を経て驚くほど大きくなってしまった渋谷すばるという名前には彼自身の意志だけではどうにもならない力が備わっていると思っていて、すばるくんがこの世界で笑っているために周囲の支えが必要不可欠になっていたと思うんです。
事務所にいることで安定して仕事が貰えることすらも甘えだと思ったのかな……。次に進むためには古巣を棄てることもまた必要で、わたしだって同じように、後ろ向きにでも時折躓きながらでも、次へ進まなければならないということはわかっているはずなのに、やっぱりそう簡単に割り切れる問題でもないわけで。
ぶっちゃけ本音を言うと「七人分の顔を合成した赤ちゃんまで作っておいて、ツアーも控えてるのになんで今なの」なんですけど。頭の中で櫻井翔くんがA・RA・SHIイントロのメロディで「時期尚早…時期尚早…」とか歌い出すんですけどやかましいわ。癒えない痛み悲しみでキズついてるのはわたしだよ。D-tecnolifeは名曲なんだなあ。生きることを投げ出さないでと言われたところで正直投げ出したい気持ちしかない。

しかしまあ、結局8UPPERS続編は叶わぬ夢となってしまったんだなあ。